留学の先を見る

とある修士トビタテ生の日々の記録です.食品に関する研究をしています.9月から米→仏→蘭と留学します.

もうすぐ日本を出るからこれまでとこれからを振り返る

僕は9月から1年間,計3カ国に渡って留学して来ます.

 

具体的には,

アメリカの大学で容器包装に関する研究を10ヶ月,

フランスの国立研究所でコールドチェーンに関するプログラムを1ヶ月,

オランダ発祥の世界的消費財メーカーの研究開発部でインターンを1ヶ月,

行って帰国する予定です.

 

これを聞いた友人からよく言われるのは,

「へ〜,楽しそうだね!」

「すごいね!」

という言葉です.

 

こう言われた時はいつもヘラヘラと濁すんですが

(別に国で選んだわけじゃないんだよ)

(すごくないよ,まだ何もしてないんだから)

という感情を押し殺しています.

 

それでも今日は,改めて自分がなぜこんなことをするのか,なぜそれに至ったのか,そしてその先について書きたいと思います.

タイトルも備忘録という責任逃れのスタンスから,違う意味を込めたタイトルにしました.

 

「留学の先を見る」

 

僕はまだ留学に行っていないから,留学を終えた後の自分の姿にもやがかかってしまって全く見えない.だから留学中の記録がメインのこのブログと向き合った時,自分がその先を見えているのか,常に意識できるようなタイトルにした.

 

長文なので,興味がない方は回れ右をお願いします.

 

 

 

まず簡単に僕の自己紹介を.

現在,東京海洋大学大学院の修士1年で,食品工学という分野で研究をしています.

特に調理工学という分野で,加熱手法の基礎研究をしています.

大学には3年次から編入しました.

もともとは群馬高専で5年間,化学について学修しました.

将来は,食品メーカーで研究開発職に就きたいと思っています.

 詳しくは後ほど説明します.

 

高専入学までと大学編入へ

僕は某大手電気メーカーで半導体の研究開発をする父と,栄養学を学んで食事にうるさい母の間に生まれた.

小さい頃から教育熱心で,習い事に関しては惜しみなく投資してくれた.

父とは未だに性格の点で相容れないが,教育の点では本当に感謝しているつもり.

保育園のころにはネイティブの個人英会話に通っていたし,小3の時点で塾通いさせてもらい,北関東の田舎出身だったため本当に際立っていたと思う.

でも生意気な僕は,学年が上がるにつれてクラスに人が増えてきて,それまでほぼ貸切で自由にやっていた進行度合いが塾の都合で決められた学びに変わるのに辟易してやめてしまった.

 

僕はその後,公文式をはじめた.

小五から公文式を始めた僕はかなり遅い部類だったが,公文式の提唱する学習スタイル(自己の学年にとらわれず自分のペースで学年を進める)にどハマりし,中学卒業まで学習を続けて中学の時点で高校レベルの数学と英語はほぼ完了していた.

この塾と公文式の期間で,よく言えば興味があることには積極的,悪く言えば興味がない分野には手を抜くようなスタイルが身についてしまった.

 

そんな僕に,技術者出身の父は小学生の頃から高専という進路を進めてきていた.

その頃はすでに日本における半導体部門は縮小の一途をたどっていたから,父は研究職を離職していた.

経済的にも以前より余裕はなかったし,授業料免除制度もある国立高専は都合がよかったのだろう.

高専とは,中学卒業後に5年間,早いうちから大学の専門課程を修得することを目的として建てられた教育機関である.戦後の高度成長期の現場を支えたのは,工業高校より高度な専門内容を持ち,当時珍しかった大学出身者よりも安価な高専卒業生だったりする.

 

とにかく,理数科目が好きで,国社が好きじゃなくて,という僕にとって,理系の専門科目をたっぷり学べて一般教養や国社をそんなに学ばなくていいと聞いた高専は,とても輝いて見えた.

とくに僕の進学する高専は進学を推していて,国立大学に編入という形で進学しやすいという話も相まって,進学を決めた.

 

物質工学科という化学を専攻する学科への進学を決めた.決めた理由は女子比率が一番多くて白衣がかっこいいという理由だけだった.中学程度の理数好きでは15歳で専門を決めろというのは酷な話で,高専在学中に退学する人をたくさん見てきた.留年まで含めれば,おそらくストレートで卒業したのは7割程度なきがする.

 

そんな中途半端な理由で入ったから,学問に対してつまらなくもないけどのめり込むほどでもない,という5年間を送った.でもプライドもあるからテスト前だけ徹夜してクラスの2,3割の順位にはいるような生活をしてた.校風も自由だったため,髪を染めてアルバイトばかりしていた.

アルバイトは和食屋さんのキッチンを,1年生から卒業するまで通算4年程度やっていた.これがきっかけで料理をするようになり,食品の研究へ進んだ一因だったりする.

 

しかしこんな状態でも,5年になってから本当に進路を考えさせられた.卒研配属で入った研究室では,好きになれない研究テーマで本当に苦しんだ.一方で,修士までは出よう,将来は研究職に就きたい」とは思ってたから,編入する大学をどうしようか悩みだした.というのも,高専時代に経験した品質管理のインターンで,どうも自分には合わないと感じてしまったためだ.

 

そんな折,現在の東京海洋大学の食品生産科学科を知り,単身研究室見学に乗り出した.そこではバックグラウンドが食品というだけで,加熱だったり栄養だったり冷凍だったり,名前の通り食品を科学する研究がそこにあった.

 

僕はその中でも,今在籍している加熱調理の研究室に強く惹かれた.そこでは普段当たり前に行われている料理について研究解析していた.人は経験則に基づいて料理をしているが,その研究では温度条件や成分の変化などから最適な調理条件を見つけだし,根拠に基づいた調理を探求する研究室だった.

 

そのころには料理がそこそこ好きになっていた自分は,普段当たり前にしていることが研究のテーマになる,そして自分の研究が生活に直結している学問分野に強く惹かれた.当時高専でやっていた研究はナノレベルの材料を扱う,とにかくミクロな研究だったが,食品というマクロな応用研究がすごく魅力的に見えた.とくに,鍋で茹でられて踊る昆布から出るダシの解析だったり,肉を加熱した時の温度シミュレーションのような,一見するとくだらないような研究が,僕にはかなりハマった.

 

そんなことで編入試験を受け,無事合格をいただき大学に進学した.

 

留学に至る経緯

そもそも,僕は留学という言葉が嫌いだった.高専時代,英語に対して意欲を失い,そして5年間40人のクラスメイトと過ごした温室育ちの自分は本当に視野が狭く,留学=語学留学,というか期間の長い海外旅行程度にしか考えていなかった.留学いってキラキラしているような人,所謂リア充が苦手だったし,留学なんて英語と洋楽や海外ドラマにかぶれた人たちがすることだと思ってた.自分には修士まで出たら当たり前に研究職としてメーカーに就職する未来が見えていたし,このレールの上には留学という通過点は全くなかった

 

そんな僕は大学に編入してから1年間,食品の講義が面白くて自発的に勉強するようになった.授業で聞くことの多くが新鮮で,とくにこれまで学んできた化学や物理,生物などが食品に繋がった瞬間が好きだった.

 

一方で,大学というものに理想を抱いていた僕は,入ってからその現実に少しがっかりもしていた.食品学科なんて珍しい学科に入ればみんな料理や勉強が好きだったりするのかなとも思ったが,所謂バイトにサークルにと過ごす普通の大学生が大半だった.

 

やっと勉強が楽しくなってきた僕は,嫌いだった英語にも影響を及ぼし,TOEICを勉強するようにもなった.そして,3年から入れるサークルが文化系ばかりだったことと,英語を流暢に話す彼らがかっこよくて1年間だけESSに在籍した.これが相まり,以前よりも英語に対して苦手意識がなくなった.

 

こんな一年を過ごして4年に進級し,大学院時代に1年間休学して研究留学するプログラムが学科にあることを知る.そしてそのプログラムを使って留学した人は,軒並み超大手の食品メーカーに就職を決めていた.そこで,留学をする=就職が良くなる,と壮大な勘違いをしてしまった僕は,留学してやってもいいかなと偉そうなことを思い始める.ちなみに親のスネをかじるき満々.

 

ちなみに僕は編入学に関する情報を発信する学生団体にも所属していたのだが,その友達に何人かトビタテで留学している人がいて,留学考えてるならぜひ受けろと進められてとりあえず文科省の説明会に赴いた.

 

そしてそこで衝撃を受けた.そこで留学について語るトビタテ生たちは皆個々に夢と呼べるものがあって,自分にとって何が必要なのか,留学で何を得ようと思ったのか,自分の軸を硬く持っていた.

 

それで自分が如何に浅はかか気付かされ,ただ留学に行けば自分が変わる,良い未来が待ってるなんて思ってた自分を恥じた.鈍器で殴られたような衝撃を受けた.

 

それからは応募までに,自分にとってどんな専門が必要で,将来どんな人材になりたくて,そのためにどんな留学をしたらいいのかを考え抜いた.学科の先生に紹介できる留学先やインターン先が無いか聞いて回り,今の自分の計画に至った.そういった意味ではトビタテ生が開いていた物語カフェに参加したことは本当に自分にとって大きかった.自分の物語を過去から未来へ紡ぐ,そうすれば自然と自分が見えてくるというのは本当にその通りだと思う.

 

まず僕は,将来やはり食品メーカーで研究開発がやりたいと思った.食品という,学問のおもしろさを教えてくれた分野に進みたい貢献したいと思ったし,自分が乗っているレールの先にある進路でもあった.

一方で,一見食に関わるメーカーだし就職先として安定と思われがち,高い人気をもつ食品業界だが,これからの課題も見えてきた.日本の人口は2050年には1億を下回ると言われているのに,世界の人口は90億を越すと言われている.一方で,日本の食品メーカーの多くは海外展開に苦労しているように感じた.そしてそこに,留学を経て僕がなりたい自分の将来があると感じた.

 

僕は将来,日本の食品メーカーの海外展開に貢献する研究開発者になる.

 

日本の企業は海外展開をしようとなったときまず現地の人材を雇用しがちだが,研究開発の拠点を国内に置くなら,現地の市場調査をするだけでなく,国内の技術者こそ文化に対する理解を持ち合わせている必要がある.そしてもちろん,高い専門性,特に食品に関しては幅広い専門性を持って置く必要がある.

 

僕は調理の研究をしているから,加熱の段階で最適な条件を追うことは得意だ.でも,食品の品質というのは保存の状態,作ってから食べられるまでの過程次第で大きく損なわれる.そこで僕は,留学中に容器包装と冷凍・流通という,自分にとって足りない専門領域に踏み込むことにした.特にアメリカでの研究は化学ベースの研究となるため,高専と大学の知識経験を合わせて取り組むことになると思う.本当に楽しみでならない.

 

そしてご存知の通りオランダ発祥の某消費財メーカーは,超グローバル企業だ.その発祥の地オランダの研究開発の拠点でのインターンは,僕が将来仕事をする上で必要となる,世界に向けた研究開発観を得る機会を与えてくれるだろう.

 

ここまで自分の物語を考え抜いたおかげでトビタテの6期生としてお金までいただけることになり,親に頼らず胸をはって留学ができることになった.

 

留学後に見据えるこれから

おそらく,留学してもしなくても,食品メーカーの研究開発職に就職するという未来はそう大きく変わらないだろう.それでも,僕という人間は全く違うものになっていると思う.

 

留学をしようとか,そもそもトビタテを知らなければ,ただ大きいだけの企業に就職して生きていくだけだったと思う.

 

もしかしたら,留学を経たら研究じゃなくて商社に興味を持つとか,もしかしたら博士行こうと思うかもしれないし,そうなってもいいと思う.自分がここまで考えて選んだ進路ならきっと納得できる.

 

今なら,自分が何をやりたいのかが明確に見えているから,例え企業の歯車として埋もれてしまうとしても,自分の理想に近い企業を選んで就職すると思うし,働きだしてからも常にチャンスを追い求めると思う.

 

僕はトビタテで留学をしよう,自分に必要な留学をしようと決めて動くことができたからこそ今,自分の将来の夢は食品企業の海外展開に貢献する研究開発者だと胸を張って言えるし,この言葉が日々活力を与えてくれる.

 

といっても未だ留学前で何も成し遂げていないので,留学中もこの気持ちを忘れず,日々成果を求め,でも本気で楽しむ一年を送ろうと思う.

 

 

 

日に日に出国の日が近づいて来てビビり倒してますが,まだ予定が空いているので会ってやってください.

あと成田で見送ってくれる方も募集してます.寂しい.

ここまで読んでくださった方がいるかどうかは定かではありませんが,

読んでいただきありがとうございました.